出発地イスタンブール

2009年特別企画、ヨットマスターコースは!1800キロ!!!トルコ、イスタンブールから、クロアチア、トロギールまでです。
船は、ベネトー。Oceanic 411 名前は、セレブレーナです。




出発地、イスタンブール!
エスニックな雰囲気。トルコ人は、みんな陽気で優しい。一気に、トルコファンになってしまいました。

     
   
     
  
さてさて、いよいよ出発。

イスタンブールから、マルマラ海、エーゲ海を一気に横断し、コリントス運河を通過、レパントの海戦で有名なイオニア海を抜け、そしてアドレア海を北上し、クロアチア・トロギールまで、約1080マイル。

ナイトクルーズ、超ロングクルーズを含めた、ヨットマスターコースの始まりです!

マルマラ海を一気に横断、トロイの木馬のチャナッカレへ

9月4日(金) 
さて、イスタンブールを、出発!
と、いきたいところですが、スキッパー・ボブは、明日あさってと土日でお役所が休みの為、今日中にトルコ出国手続きをすることに。
ボブ氏曰く、(いつものことだけれど・・・) 無駄に勤勉な、お役人たちにたらい回しにされ、結局、午前中に出港のはずが、昼過ぎとなってしまいました。
 


初日の航行予定は、マルマラ海を一気に横断、ダーダネルス海峡を一気に下り、翌朝、トロイの遺跡の玄関口、チャナッカレに到着予定。

約132マイル。オーバーナイトとなるため、水道が使えるうちに、うどんとジャガイモをしこたま茹でて、爆弾のような大きなおにぎりをどっさりと作る。
ダーダネルス海峡は、黒海からの押し出しの追い潮に乗り、平均7ノット以上を予想。

今回のメンバーは、WV校長のスキッパー・ボブと、
来年の夏から太平洋をぐるっと一周する計画のために、まずはウインドバレー留学に来た景虎さん。
シアトルからの参加、高感度抜群中年の西出さん。
夢は宇宙でプラモデルの組み立てと、スターウオーズのような高速トリマランヨットで世界を一周のダイスケさん。
ドイツの研究所に転勤が決まり、引越しついでに大きなスーツケースと共に乗り込んだサイエンティスト・ヒデ。
と、落馬による鞭打ち後遺症と腰痛でヘルムが大の苦手、重度の船酔で薬漬けのヘロヘロセーラーの私です。一応、紅一点であります。



ウエザーキットとハーネスの準備をして、ヨットマスターコース通例の、ロングクルーズと、ナイトワッチのはじまりです。
船は順調に走行。日も暮れると、まわりは真っ暗。
ダーダネルス海峡は、狭い上に本線航路が幅をとっているため、本船航路に入らないように気をつけながらのナイトワッチです。
二人一組、二時間の三交代。星空の元、遠くの夜景を見ながら、何度か本船に追い越されました。


 
9月5日(土)

やっぱり、ナイトワッチは、キツイ・・・。寝不足・・・。
早朝、チャナッカレに到着。入港には、ブラッド・ピット主演の映画『トロイ』で使われた木馬が立っていて、入港を迎えてくれました。


   
給油のためマリーナに係留。10レグのときに、マストに登る手伝いをした船と再会し、ドックから舫いを取ってくれました。そして彼はドックに着くなり、言うのです。
「火曜から、ストームが来るぞ!」
「まじ~?」 ということで、火曜から荒れるらしい・・・。


(トロイの木馬は、船を壊して造られたと言われています。それを再現して、木材は帆船用のロープで括り、お尻には、クリートの部分が!しかも、この馬はオスらしい。 そこも、ちゃんと作られていました。
この中に兵が隠れているとも知らないトロイは、木馬を城壁の中に入れてしまい、夜中に門の鍵を開けられてしまいます。そして、スパルタの兵が、トロイの国になだれ込み、滅ぼされてしまうのです。)


次の寄港地、ギリシャ入国手続きをするためのリムノス島への到着を、日の出の後に合わせると、夕方の出港でよいこととなった。と、いうことで、ここでしばらくのんびりすることに。
禁酒のナイトワッチの反動?で、三人の男性陣たちは、レストランへ一杯飲みに。
ところが、トルコはラマダン中(断食)。
ラマダンの間は、お茶だけを飲んでいるトルコ人のなかで、三人は、小さくなりながらも、ビールを一杯。
たまたま、トルコ海軍の戦艦が停留していて、しかも、艦内を見ることができるということで、操舵室などを見学。
「歴史上、トルコ海軍は、弱かったんだよな~」と、軍艦を見上げながらボブ船長。
かつてのオスマン帝国は、陸軍は強かったけれど、海のことはさっぱりダメ。海軍というのも名ばかりで、海賊を雇い、ガレー船の漕ぎ手は、スキあらば逃げ出したいキリスト教徒奴隷の寄せ集めだったのです。結局それが、ベネチア連合艦隊との戦いでの敗北の原因でした。

もう、秋です。クラゲが大量にぷかぷか。絵の具をたらしたような、紫クラゲです。海に飛び込むのも、注意が必要。

夕方になり、ダーダネルス海峡を抜けるために出港。
これで、トルコともお別れ。海峡を抜けると、エーゲ海、ギリシャ領です。

ギリシャ入国のためのポート、リムノス島

9月6日(日)
エーゲ海に入る。
ギリシャ入国手続きのためにリムノス島に向かう間、ダーダネルス海峡からの押し出し潮に乗り、当初のETA(到着予定時間)よりも早く着く可能性が出てきた。
早く着いてしまうと、日の出の前の、暗闇の中での入港となるため、ゆっくりと速度を落として走る。
しかし、ゆっくり走ったつもりが、結局、早く着いてしまいました。風が穏やかなため、アンカーを落として、ひとまずは睡眠を取り、日が昇った後に、港に係留することに。そのときのナイトは、ダイスケさんとわたくし。ボブさんを起こしての暗闇の中のアンカリングとなりました。


ところが・・・。朝、太陽が昇ると、思いもかけず、突風吹き降ろしの強風(ガスト)が吹き抜ける。
天気が悪い訳ではない強風。それは・・・メルテミ。エーゲの北風である。これが吹き始めると、10日は吹き続ける。いやらし~風。

強風に煽られながら、地中海式ドッキングと呼ばれる、アンカーを落とすスターン付けドッキング。
海底の質が悪いのか?アンカーのかかりが悪く、何度もドラッギング。諦めないボブ船長は、セカンドアンカーを落とし、V字アンカーにする。
ようやく船が停まり、ボブ船長は、クルーたちのギリシャ入国許可を得るためにポートポリスへ。
みんな、ほっとして、一杯。
私は、寝不足解消にもうひと寝り。

ところが、目を覚まして外に出てみると、アンカーがはずれ、船のバウ先が流されているではないか!これは大変と、応急処置に長いバウラインを取り、まるで張り付け状態に船を縛る。


その後は、恒例の、山登り。

「なんで、登るの?」と聞かれたら、「そこに、山があるから」としか答えられないが、ボブ船長も、わたくしも、山登りが大好きということで、勿論の如く、山に登る。この山もかつては、ヴェネチア時代の城塞でした。

  
ナイトワッチが二日続いたので、ここで一泊。航行中は禁酒にて、この夜は、ちょいといい気分に。 山の上の城塞がライトアップされ、夜景が綺麗でした。
 

エヴィア水路に入り、カルキ橋スタック!!!

9月7日(月
リムノス島を出航。
しかしこの日は、とっても残念な決断によりコースを変更して、南下することに。
その残念な変更とは?
実は、ちょいと北上して、アトス山の周りにある岸壁の上に立ち並ぶ修道院(世界遺産)を見に行く予定だったのです。ここは、世俗から離れて修行する修道院なため、一切の道路が無く、海からの眺めでしか見ることができません。
しかも、男性修道士たちの修道院ということで、完全なる女人禁制。一切の動物のメスもダメという厳しい場所です。海岸線も、女性の上陸が認められていません。唯一、女性が見ることができない世界遺産です。(男性であっても、巡礼の予約が必要です) 

と、いうことで、女性である私は、この禁断の眺めを楽しみにしていたのです。(男性陣たちは、この禁欲修道院の向かいにあるという、ヌーディストビーチを楽しみにしていました)

が・・・、気象予報では、低気圧が南下中で、北に上がるコースが取れなくなってしまったのです。
 


結局、コースは、スポラデス諸島を行き、北風からの非難航路であるエヴィア水路に入ることに。途中、スポラデス諸島の小島でアンカリングをして一泊、十分な睡眠を取り、再び走ります。


  9月8日(火) エヴィア水路に入ってきました。真ん中は、くびれた形になっていて、そこには小さな橋がかかっています。

 この橋を開けてもらって通ることになるのですが、その前夜、橋の手前の漁港で泊まった時のことでした。夜の暗闇の中で入港し、親切な漁民によってようやくドッキングを終え、その後、漁民たちの集まる場所に赴いた私は、彼らから、とんでもないことを耳にすることに!
「えぇぇぇ!!! 橋は、昼には開かないだって!?」
「そりゃ~。大変だ~」

「橋は、真夜中にしか開けないんだから、ちょうど今頃、開いているよ。でも開くの30分だけだから、間に合うかな?」と、漁民。

ようやく船を着けて、ホッとしたばかりなのに!もう寝る準備をしているのに!しかも、開くの30分だけ、明日、橋に行っても昼は開けてもらえないなんて!

「大変だ~」
走って、みんなにそのことを伝えると、みんなも、唖然・・・。

9月9日(水)
結局、思いもかけず、橋の手前で、まるっと一日、橋が開くという夜中の12時まで待つことに。 


ボブ船長は、カルキ橋の開橋申請と、申請料を払いに行き、私は橋の様子を見に行きました。橋のたもとでは、渦を巻きながら流れています。

「この橋は、申請に応じて開くのではなくて、潮どまりの時しか、橋を開けられないんだ。それが、ま夜中なんだよ・・・」と、ボブ船長。なるほど・・・。


夜11時。チャンネル12をオンにしておいたVHFから、船の名前が呼び出される。「セレブレーナ、もうすぐ橋を開ける。待機せよ」 「ラジャー」

そして、30分後、VHFで船の名前が呼び出された順に、橋に向かう。



ようやく、カルキ橋を通り、再び南下。一日、スタックした遅れを取り戻さなければなりません。


カルキ橋の手前で、西出さんは、仕事のためNYに飛ばなくてはならず、ここでお別れ。二組、三時間のワッチとなる。ここからは、コリントス運河まで、一気に行きます。

夕方、小雨のコリントス

9月10日(木)
12時にカルキ橋を出航し、コリントス運河まで、一気に走ってきました。低気圧の前兆か、雲行きが怪しい。外のエーゲ海では、結構、吹いていそうでした。



夕方、コリントス運河が見えてきました。雨が降りそう。
サイレンと共にゲートが開きます。ゲートの写真をとって、みんな走って船に戻り、出航準備。

 運河の管理塔からのVHF指示にしたがい通行。
あいにくの雨ですが、雨のコリントスもいいですね。山水画ほどではありませんが、しっとりとしていました。通行は、このセレブレーナのみ。貸切です。
  

 
コリントスを通過後、運河の裏のマリーナに入って、休息。お休み。